はじめに
剣道の歴史とは、武器でもある刀とそれを用いて戦う技術、また戦いに臨む考え方(理念)などを組織をつくり教育、普及させてきた歴史でもあります。
まずは縄文時代までさかのぼり解説していきたいと思います。
縄文時代
縄文時代は、紀元前13,000年ころから約1万年以上もの長い間続きました。
当時の遺跡から発掘した出土品を調べることで、そのころの人々がどんな生活をしていたのかがわかります。縄文時代は木の実や山菜、キノコなどの植物や森にいるシカやイノシシ、ノウサギなどの動物をつかまえるため、狩りをして生活をしていました。海や川では、サケやブリなどの魚をとり、また、シジミやアサリなどの貝を食べていました。
このように衣食住に必要とされるものを獲得したり、危険から身を守るために木や石を道具として用いて生活をしていました。そしてこれらの道具を武器としても改良していくことで自分よりも大きな者にも打ち勝つことができることを知り、武器の改良にともない戦う技術が発展していきました。
弥生時代
弥生時代になると、それまでの原始的な狩猟の生活から水稲(すいとう)を中心とした農耕(のうこう)が発達していきました。人々は自分で食べ物をつくりだすことができるようになり、生活が安定し、水田耕作に適した低い土地に集落を営むようになりました。このようにしていままでの原始的な集団が次第にまとまっていきました。
そしてこの時代から石器にかわり農事や武器の素材として金属器が普及していきました。青銅器や祭器、鍬(くわ)や鋤(すき)などの農具や鉇(やりがんな)、刀子(とうす)、手斧(ちょうな)などの工具としての鉄器の使用が始まりました。
鉄は用具や武器の素材としても強くて丈夫なため、鉄の資源をとりあう争いがきっかけとなり戦闘が大規模なものになっていきました。
この頃に中国からは太刀(たち)と呼ばれる反りがない長い刀剣が導入され、遠隔戦では弓矢や投げ槍、接近戦では矛(ほこ)、戈(か)、剣、刀が使われるようになりました。特に接近戦では英雄となる戦士が持つ刀剣が神聖なものとして扱われるようになっていったようです。
古墳時代
古墳時代になるとさらに鉄器が普及し、太刀が実戦用の武器となっていきました。
この時期の出土品からは装飾付きの太刀、弓など身分を誇示するものが多く見られますので武装に階層性があったものと思われます。
飛鳥時代
その後、大化の改新によって唐の律令制をもとに天皇を中心とした中央集権国家を目指すこととなり、天皇の即位儀礼には剣が神器として扱われ、国外との戦争を想定した大規模な国家軍団が整備されていきました。
奈良時代
奈良時代になると大陸からやってくる外敵の侵入に備えて九州の守備のために防人(さきもり)と呼ばれる兵士が置かれ、武術の奨励がはかられました。成人男子の3~4人に1人の割合で兵役につく軍制により武術がますます進化し、やがて地方にも波及していきました。
平安時代
平安時代になると、農民も自衛のために武装し、地方豪族は自分たちで兵を雇うようになっていきます。
これが平安時代後期の武士の発生へとつながっていくことになります。
平安時代の末期には武士の頭領として台頭してきた平氏と源氏の覇権争いは、それぞれを支援する武士団の武力による応援を背景に力を強め、やがて政治の実権をも掌握するようになっていきました。
当時、関東や東北に住む蝦夷(えみし)とよばれる豪族たちは騎馬戦が得意だったため馬上での戦いに便利な外反りの刀を使っていました。これが日本刀の原型といわれています。
続く・・・・
■参考文献
財団法人 全日本剣道連盟.剣道の歴史.2003